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小島アジコのブログです

トラペジウムは丁寧な仕事によって作られてる本当に良い映画でした

Trapezium

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こちら。bluesky@orangestar.bsky.social on Blueskyに書いたものをまとめたものです


1)
トラペジウムすごく良かった。土曜日に見に行って、で、まだ、頭の中でグルグルしてる。何人かを映画館送りにして、そのうちの半分くらいがトラペジウムに脳を焼かれているので、結構いい打率だと思う。もっと色んな人に見て欲しい。

トラペジウムについて、グルグル考えていて、それをどこかで吐き出したいんでここでだらだらと書きます。トラペジウムを人に見て欲しいならファンアート(と2次創作)をかいてアップしていった方がいいっていう、それはそう。よくわかってます。

トラペジウム、アイドルの話、青春の話、そういう風に語られて、そしてそうなんですけれども、自分は『人生のハレとケ』についての話あと思いました


2)
『ハレとケ』結構難しい概念なので、簡単に説明しますと『日常と非日常』

で、『ケ』を物語の中に表現するのって、物凄く難しいんですよ。というか、基本的に不可能。

『ケ』はスポットライトの当たらない、淡々と、やり過ごしていったり特に意味も価値もない、そういう日常で、物語の外にあるもの。基本はお祭りとか、例えば、高級レストランや遊園地に行くとかが、人生において『ハレ』になります。逆に回らない寿司にしか行ったことのないお嬢様が友だちと回転寿司にいったりするのが『ハレ』になったりする。


3)
で、それを物語のなかで描こうとすると、それにスポットライトが当たってしまうので、それが、『ハレ』(意味のある出来事)になってしまう。

映画や、漫画でもいいけれども、『物語』という形で描いたときに、その『ケ』は意味を持った『ハレ』になる。辛い日常も、日々の小さな喜びも、意味を持って人生をなす何かとして再構成される。思い出として語られる。(逆に言うと、『物語の効用』はそういう何でもない人の何でもない人生を価値のあるものとして黄金にかえるところにあるのだけれども)


4)
人が、人生を、『自分の物語』として思い出すときに、どうしても起点となってしまうのは『ハレの日』だ。友だちと一緒に行った夏祭り、初恋の子と出かけた遊園地、吹奏楽の全国大会の会場、クリスマスの日の高級レストランでの告白と指輪。
そういう、『出来事』が人の物語を構成する。でも、実際、人の人生やその人自身や、その周りの人間との関係を形作っていくのはそういうイベントごとではなくて『ケ』である日常の中のどうでもいい会話であったり、接触であったり、時間であったりするわけで。
イベント、というのは、そういう関係性の確認作業だったりする。


5)
そこら辺の、『人生はイベントという点と点と線でつないだもの』って認識でやってしまう人が、いきなりそんなに親しくない女の子に告白して拒絶されたり、高級レストランで指輪を渡してとんでもないことになったりするわけで。

『イベント(ハレ)』は『普段の関係性(ケ)』の積み重ねの先にあり、図と像の関係性にある。

有名な顔と壺の『ルビンの壺』*1という絵がある。壺を見ているときには顔は見えないし、壺を見ているときには顔は認識できない。物語で『ハレとケ』を描くのはそういう難しさがある。『ケ』は常に、見えない側にある。


6)
で、『トラペジウム』

トラペジウムは、物凄く上手くその『見えないケ』を表現している映画だと、初見のあと思ったんですよ。画面には描かれてていない、描かれないものだけれども、そこに『質量』が存在することが分かる。そのように映画ができている。

美味しんぼのエピソードで、海のことが分からなくなってしまった絵描きに、海を思い出してもらうために、海の見えない部屋の中で、ブリ大根の大根だけを食べさせて海を思い出させるエピソードがあるのだけれども、そんな感じだ。

これ、無茶苦茶難しいし、一体どうしてこんなことになってるのか、全然わからなかった。


7)
主人公である『東ゆう』は『ケ』を認識しない。見えない。アイドルというものすごい『ハレ』、ものすごい眩しい光に目を焼かれて、『日常』というものの価値が全く理解できない、みない。
だから、東ゆうの視点からは『ケ』は途中まで一切描写されない。(ただし、画面の中や友達の行動の中に『ケ』が分かるように描かれている)

そして、その、友だちとの培った『ケ』によって、友人との友情やそしてその友情の回復がなされるのだけれども、
東ゆうの視点で物語は描かれているので、テクスチャだけ追っていると、『どのように友情がはぐくまれていったのか』に対しての描写、伏線が足りないと見える。


8)
トラペジウムを見た人の結構少なくない人が、「なんでこんな展開になるのか分からない」「ご都合主義」と思ってしまうのもそこが原因だと思う。でも、よく見ると画面に全部描かれていて、ただ、それが、『あえて見えない』ように隠されて描かれている。

一体どうやってるんだこれ?って、5日間ずっと考えてた。その結果、得た答えが、

『とにかく丁寧な仕事につきる』
『何をどういう意図で描写するのか、スタッフ間の意思統一がちゃんとされている』

ということだった。
わかんない、間違ってるのかもしれないけれども、自分はそう思った。



9)
とにかく、登場人物がおかしい。
大河と南さんは、ストックキャラクター(典型的なディフォルメされたキャラクター)(リアリティがない)なのに、なぜかものすごく生々しい。なんでこんなに生々しさがでるのだろう、って見ながらすごく不思議に思っていた。
きっと、モデルがいるのだろうと思う。例えば大谷翔平をモデルにしたとしよう。設定と行動を見るとリアリティのないキャラクターだけど、でも実在する。実在するというのはすごい。それを知って描くというだけでリアリティができる。
多分、原作者の周りに、南さんや大河のモデルになった人がいるのだろう。それにしても、生々しい。


10)
そして、登場人物がおかしい、その2
物語において、登場人物というのは、全て、作者の分身だ。作者の中の色々な部分を拡大したり加工したりしてキャラクターは作られてく。
なので、必然的に、どうしても、登場人物たちの思考の単位系というのは、そろってしまう。でも、トラペジウムは違う。登場人物たちの単位系があっていない。ヤードポンド法のように、噛み合っていない。(こういう表現でしかこの違和感を表現できない。でも自分はこんな風に感じた、レスバをしていても、会話が摩擦はするけれども噛み合っていない)(そもそも、この映画にはレスバがほとんどない)



11)
色々と、その為の演出や技術を使っているのだろうと思う。自分が気が付いたのは南さんが山ガールの格好をしたときに、巻き髪について突っ込まれたときに「あえて外すのがいいのですわ」という受け答えをしていて、これは、南さん的なストックキャラクターからは出ない言葉だな、と思った。なぜでないのかはうまく説明できないけれども、この言葉はキャラクターとして設定されたキャラクターからは出ない。

ちょっと製作中の話を調べてみると、一人につき数十枚の服装が設定されていたり、その人の今までの人生の生い立ちなども細かく設定されているそう。そういう厚みの上で、キャラクターを作ってる。丁寧な仕事だ。



12)
他にも、ネットでも書かれていたのだけれども、上手下手演出をかなり丁寧に使って演出がされている。これって実際どれくらい効果があるのかって言うと、意味も効果もちょっとはあるけれども、実際おまじない程度の効果しかない。他に、天候によって登場人物の心情をあらわしたり、信号機の明滅で心情や状態を表したり。気づく人だけ気づく、そういうおまじないみたいな演出。でも、そういうおまじないみたいな演出を無数に重ねていくことによって、おまじないは魔法になる。そういう、細かい丁寧な仕事のかさなりあいによって出来上がってる。


13)
でっかい氷山があって、水面の上に浮かんでるのが、画面で表現されている部分。でもその下にものすごく大きな『世界』が広がってる。
前島賢さんが、トラペジウムに対して、『ロールシャッハ的、見る人によって全然違う姿をみせる』と言っていたのだけれども、それは、その、水面下にある大きな世界をみんな垣間見るからだとおもう。
そして、それを成り立たせているのが

『本当に丁寧な仕事』

にある。
人物や背景、世界の設定を細かく作り、表現のための演出は使えるものすべて使い、そして、何故それをするのかスタッフどうして意思疎通がかなりされていると思われるし、その目的のために、努力を惜しんでいない。




14)
自分の妄想だけれども、でも、そのようにして作られたのだと思う。すごい映画だ。地味な、丁寧な、そういう作業によってしか、いいものってつくられないし、その積み重ねによって世界は生まれるのだという、ことを強く感じさせてもらった。

襟を正す。

自分も東ゆうに負けないように頑張ろう。

みんな登場人物が生きてる。実在するって強く感じる映画でした。


追記
トラペジウム、初めてスタジオに行った時と、初めて衣装を着て踊る前の『ハレ』の演出が物凄く素晴らしくて、そして、それが、どんどん『ケ(仕事)』になってしまっていくのの表現がすごくよかったですね。

「こんな素敵な『職業』ないよ!」って言っちゃってる。もう仕事なんですよね…。



こういうことのつみかさねが作品の厚みを作るんだな、と実感……。



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OPの『なんもない』が本当にいい主題歌なんですよ。
なんもない=『ケ』に対して、みないふり、気づかないふりをして、そして前に進むっていう、東ゆうの歌です。